5月18日 月例供養会

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5月18日、月例供養会を厳修致しました。

前日の雨模様とは打って変わり大変気持ちの良い気候の中お経があげられました。

 

法要後には住職より、先日の京都本能寺で行われた千部法要の報告がなされました。

近年、少子化の問題もあってか、当宗門の修行所「興隆学林」でも修行僧の減少傾向が如実に表れており、住職や善隆が修行していた頃は、4月に修行所に入りたての若々しい修行僧が千部法要のお手伝いをさせて頂くということが当たり前の時代でした。しかしながら、近年では修行僧の数少ない為もあってか、修行所に入りたて僧侶が緊張した面持ちで法要手伝いをする、ということが見られなくなってしまったことや、僧侶だけではなく一般参拝者も10年前、20年前と比べて大きく減少してしまったことへの私見を述べ法要の結びとなりました。

 

私も修行時代、5月の千部法要の時期になると、一年生のころは先輩や先生に煽られ叱られながら、まずは本能寺の境内のどこに掃除道具があるのか、塔頭のお坊さんに失礼があってはいけないよう、全塔頭名とそれぞれの住職の名前にはじまり、法要中どのような動きをしなくてはいけないかを、徹夜の勢いで同期とともに必死に覚えたことをつい昨日の事のように思い出します。そして自分が先輩になると一年生の頃の自分は「あれだけ必死にやったのに」を後輩に押し付けてしまい、後輩に対して厳しく当たってしまったこと、今となってはとても反省しています。

 

きっと千部法要の時期になると毎年このような反省を思い出すことになるんだろうな、と。

感じながら住職の話を隣で聞いておりました。

故人を思い出すことが供養であるなら、

反省を振り返ることも罪障消滅に繋がることを信じ精進して参ります。

 

合掌 善隆 記

 

 

 
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5月3日 福寿稲荷大善神祭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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5月3日 福寿稲荷大善神祭を古くからお付き合いのあるお上人お二人をお招きし厳修致しました。

福寿稲荷様は妙信寺の守護神として開基の日浄上人が感得された神様であります。

この吉日に沢山の方々が来山くださり一心に共にお経を読んで聞いてくださる。

本当に有難いの一言に尽きます。

 

来月には開基  日浄上人の27回忌が控えております。

福寿稲荷祭にこうして沢山の人が集まってくれるということは福寿稲荷様ひいては日浄上人のご供養にも繋がってくるのではないか、と思う次第であります。

 

この日は昨日の天候とはうって変わっての好天に恵まれた中で法要を営むことができ、法要後には近くの中華料理屋さんで皆で楽しくお酒を飲み交わしました。

 

この法要が「妙信寺の原点」という住職の挨拶がありましたが、まさにそれを深く感じる一日となりました。また来年のこの日も盛大に法要を厳修できるよう寺族一同努めて参りますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 

善隆 記

 

 
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4月20日供養法要

令和7年4月20日(日)午後1時より祈願法要を厳修いたしました。本日は蒸い暑い気温で夏本番が思いやられます。

法要前、私善徹よりご報告をさせて頂きました。去る4月14日から16日にかけて、住職、奥様と3人で薬王寺に御給仕に行って参りました。そこでの報告をさせて頂きます。

15日にお寺のシンボル的な存在だった樹齢約80年の栗の古木の伐採工事が行われました。直径約50センチくらいの大木で古木とは言え薬王寺を80年以上見守って来たご神木的な存在でした。

2人の作業者の内、1人は木の上に登り、もう1人は下で滑車を使い、切り取られた枝を下に降ろす作業で、木の頭頂部から数十センチづつ幹を伐採しながら下まで下ろすのを見ていると流石にプロだなあと感心した次第です。切り株の中心部は蟻が巣を作っており、これでは蟻には気の毒ですが、この木も永くは持たないだろうと感じました。益々激しくなる台風などの自然災害を考えると、残念ですが適切な伐採時期ではなかったかと思った次第です。最終的には根元まで伐採するそうです。

報告事項は以上ですが、令和5年12月に亡くなった、尊敬する私の叔父が描いた観音菩薩の絵が自宅から出て来ました。何年も前に貰ったもので永く失念していましたが、これも何かのお知らせと思い額に入れて仏間に掛けさせて頂いております。その絵画に小さく「たとえ私にあしたがなくても精一杯今を生きる」との文言が書いていてあります。私たちは明日が来ることについて誰も疑いを持たないのが一般的です。物事を先延ばしにすることは日常茶飯事です。しかし余命を宣告されたりすると、如何に只今のことが大切なことかと考えさせられます。この文言を読む度に、無為に1日を過ごせないなと思い、このように私も生きたいと度毎に思う次第です。

読経が終わり、住職の挨拶の中で、開基上人の第27回忌法要を失念していたことに触れられ、6老僧のおひとり日頂聖人の話をされました。日蓮聖人の第3回忌の法要のため池上に向かう途中、他宗と法論のため参列出来ず、父上である中山の法華経寺の日常聖人のご勘気を蒙り、遅参の理由を述べ許しを乞うが、他宗との法論はいつでも出来るが、3回忌法要は2度とないことであり、ましてや大聖人の報恩御会式に姿を見せないと言うことは最大の不義理であるとお叱りになり許しては貰えず、日頂聖人は深く反省し「此経難持 若暫持者・・・南無妙法蓮華経」と泣きながら銀杏の木の周りをぐるぐると回り許しを乞うたが、それでも許して貰えず云々。これを日頂の泣き銀杏と言う話をされました。ご先祖様に対して忘れてはならない御報恩感謝が如何に大切であるかの戒めと真摯に受け止めさせて頂きました。 合掌  善徹記

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