法話の間

報恩鈔

3月1日の月例祈祷会において拝読・解説をいたしました。

 

夫れ老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし。いわうや人倫をや。

 

「現代語訳」
年老いた狐は決して生まれた塚を忘れず、死ぬ時はかならず首をもと住んでいた塚に向けると言われています。昔、中国の晋の毛宝と言う少年に助けられた白亀はその恩を忘れず、毛宝が後に戦いに敗れた時、背に乗せて窮地を救った、と言われています。このように動物でさえ恩を知り恩に報ずるということがあります。まして人間が恩を知り恩に報いることをわきまえないでよいはずがありません。

 
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開目鈔

法要の中で開目鈔を拝読 解説しました。

天台云く「今我が疾苦は皆過去に由る。今生の修福は報ひ将来にあり」等云々。心地観経に云く「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」等云々。

「現代語訳」

天台大師は法華玄義第六で「今の私の悩み苦しみは皆、過去世の罪に由来します。今生に積んだ福報は来世に受けることになります」といい、心地観経には「過去世にどのような善因・悪因を積んだかを知ろうと思ったならば、それが現在にどのような結果となって現れているかを見なさい。また来世に善い結果が現れるか悪い結果が現れるかを知ろうと思うならば、現世で善因を行っているか悪因を行っているかを考えなさい」と述べています。

 
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観心本尊抄

しばしば他面を見るに、ある時は喜び、ある時は瞋り、ある時は平に、ある時は貪現じ、ある時は痴現じ、ある時は諂曲なり。瞋は地獄、貪は餓鬼、痴は畜生、諂曲は修羅、喜は天、平は人なり。他面の色法においては、六道共にこれあり。

「現代語訳」

たびたび他人の顔を見ますと、ある時は喜びにあふれ、ある時は怒りに燃え、ある時は平静ですが、またある時は貪欲(むさぼりの心)を表情に示し、ある時は愚痴(真理を理解する能力がない)の表情であり、ある時には自分の意志を曲げて人にこびへつらう表情があります。怒るのは地獄界の表情であり、貪るのは餓鬼界、おろかなのは畜生界、へつらいは修羅界、喜ぶのは天界、平静なのは人界です。したがって、他の人の顔の表情という色法(形質)を見ると、地獄界から天界までの六道はそこにすべて揃っているのです。

 
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