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10月1日祈願法要

10月1日(日)祈願法要を厳修いたしました。

猛暑から一転、冬のような寒い日になったりと、四季ではなく二季のような異常さですね。異常気象が私達の健康にも大きな影響を与えています。体調管理には十分留意したいものです。

コロナ感染症はまだまだ収まっていない状況の中、インフルエンザの流行が重なり、コロナなのかインフルなのか分からないと言う、気の抜けない日々が続いています。個人個人予防するしかありませんね。マスク着用も任意となりましたので、マスクをする人、しない人まちまちの光景が見られます。自己責任と言うことでしょうか。

さて本日は祈願法要です。法要に入る前に一生成仏抄と言う御遺文を拝読させて頂きました。僭越ながら、少しでも檀信徒の皆さまの理解に役立つようにと、解説もさせて頂きました。

御遺文拝読の後、方便、自我偈、神力偈、咒陀羅、題目等の読経の後、御祈祷会では住職、副住職による木剣加持祈祷があり、お題目太鼓の中、撰経を身体に当てての祈祷が行われました。

法要後お会式に向けた、恒例の手作りによる、お会式桜の蕾作りを檀信徒の皆さまと共に実施いたしました。大勢なのであっという間に、終わりました。大変お疲れ様でした。終わりに住職より15日のお会式法要のあと、ご供養の席をご用意したい旨の話があり、本日の法要は終了いたしました。  合掌  善徹記

「一生成仏抄」

衆生というも仏というも、またかくのごとし。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるがごとし。只今も一念無明の迷信は磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発して日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにして磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみがくとはいうなり。

等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経

「現代語訳」

衆生といっても仏といっても、同様なのです。迷っている時には衆生と名づけ、悟る時は仏と名づけるのです。たとえば、曇っていて、ものを映さない鏡も、磨けば玉のように見えるようなものです。私達凡夫の無明という根本の迷いに覆われた命は、磨かない鏡のようなものです。これを磨くなら、必ず真実の悟りの知恵の明鏡となるのです。深く信心を奮い起こして、日夜、朝暮に、また怠ることなく自信の命を磨くべきです。ではどのようにして磨けばよいのでしょうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつること、これが磨くということなのです。

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