6月1日 祈祷会

去る6月1日、月例 祈祷会を修行致しました。

この日は先日、薬王寺に行ったときに感じたことと、生ける人への供養についてお話させて頂き、住職からは蓮根を何故お供えするのか、その意義についてのお話がありました。

 

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いま妙信寺には住職と住職の弟子が2人居ります。

その弟子が私と、もう一人は度々ブログにも登場しますが、善徹師であります。善徹師は元々妙信寺総代として、妙信寺が下末吉にある時から、ご支援頂き、また私が幼少の時から面倒を見て頂いておりました。

善徹師は元々されていたお仕事を定年退職後、僧侶の道を志され、平成25年に得度(お坊さんになること)されました。

それからというものは、妙信寺のお寺側の人として、ご尽力くださっています。年齢でいうと、私と善徹師は孫と祖父の様な関係になりますが、書類上は私の方が先に得度しておりますので、私の方が兄弟子という存在になります。

先日の薬王寺には住職と私ら弟子2人でお給仕に行って参りました。

そこでは善徹師は妙信寺はもとより薬王寺にも大変ご尽力頂いております。薬王寺は何度かブログにも上げておりますが、周りには緑だらけなので草むしりや雑務が仕事の大半を占めてしまいます。そんな中、善徹師夫妻は毎月、薬王寺に行って頂き草むしり雑務をしてくださっているのです。本来であれば、定年退職後、世間で言えば、御意見番の立ち位置に立っていてもおかしくない方がこうして、私と一緒に雑務をして頂けるという事は、大変有り難く、この事実を「有難い」という言葉だけに修めてしまってはいけないのではないか。と考えてしまうほどです。

もし、この弟弟子が私の実の弟であれば、この様なことを気づかなかったのだと思いますが、書類上、弟弟子の実年齢でいうとおじいちゃんの善徹師が私と同じ、社会で言う新人がする雑務を一緒にして頂ける。この尽力する姿を見ていると色々と感じるものが御座います。私の師匠(父親)が薬王寺を「益々発展させたい」という気持ちも勿論伝わりますが、このような血縁の無い第三者がこれだけご尽力くださるということは私がこの場所を継ぐに当り、大きな糧になり、また決心へ変わると信じております。

師匠といえど、実の父親です。師匠から学ぶことは数えきれないですが、弟弟子から学ぶこともまた数えきれません。

「亀の甲より年の功」という言葉がありますが、まさにこのことわざに尽きるのではないかな、と思います。経験に勝るものはありません。

御遺文やお経を読むことだけでは学べない、人間界の中の人間力について現在、勉強させて頂いてる最中で御座います。

 

「薬王寺で感じたこと」について、書こうとしたら長くなってしまいました。すみません。これ以外にもお話したことはあるのですが、文量の関係上、この辺りで終わらせて頂きます。また何かの機会に書かせて頂きます。

 

ご笑覧ありがとう御座いましたm(__)m

合掌 善隆 記

 
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5月20日 先祖供養会

 

5月20日 先祖供養会を厳修致しました。

去年の御会式ぐらいから法要日となると連日あいにくの天候に悩まされていましたが、

久しぶりに良き天気に恵まれた中で法要を修行できました。

 

法要前には私が最近ネットで見かけた掲示板での宗教ネタを、

皆様方にお話させて頂きました。

 

Q,功徳とは何ですか。

同じお経を読み、同じ信仰をし、同じように暮らしていても

その中である人は損をし、ある人は得をする。

ある人は病に倒れ亡くなる、ある人は病見つかるも治る。

そしてある人は事故に遭い重傷を負う、ある人は事故を免れ九死一生を得た。

前者には功徳がなく、後者には功徳があるのですか?

功徳とは一体!?

 

といった内容の質問を、あるHPの掲示板で見かけました。

お寺と関わりの無い方が思う極普通の意見だと私は感じました。

 

この質問を御信徒に投げかけ、私なりの想いをお話させて頂きました。

信仰とは私が思うに、人それぞれ様々な信仰があると思います。

10人いれば10色の信仰があって良いんです。

信仰とは何か?という質問に対してペーパーテストで100点の回答はないと思っております。

 

亡き婆ちゃんの月命日には必ず婆ちゃんの好きだった和菓子をお供えする。

今日試合に勝てます様にと線香をあげ手を合わせる。

法華経一部を読誦する。

 

これら全て信仰だと思います

ただこれらの行いに対してのそれぞれの結果を「功徳」という言葉に集約してしまうとそれは間違えになってしまうような気がします。

 

私が思う「功徳」とは、信仰したことによって得られる安心感や安堵感。

そしてその安堵感とともに感じられた様々な「気づき」だと思っております。

難しくいえば「善悪の元となる可能性」こそが私が思う所の「功徳」だと思います。

 

御信徒さんたちに上手く伝えられたかは分かりませんが、

「信仰」、「功徳」について少しでも考えて頂けたならそれだけで幸いです。

 

なんせ御信徒さんと言えども私より一回り二回り年上の方々、

つまり私の親、祖父母くらいの方ですからね。

私の様な者の話を聞いてくださるだけで私は感謝感謝なのです(‘ω’)ノ

 

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記 善隆合掌

 

 

 

 

 
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5月3日 福壽稲荷大善神 大祭

 

去る 5月3日 福壽稲荷大善神 大祭を厳修しました。

 

福壽稲荷大善神とは、

当山 妙信寺の守護神で在られます、福壽稲荷のお祭りで御座います。

福壽稲荷の由縁につきましては、HPに記載しておりますので、

ここでは割愛させて頂きます。

 

この福壽稲荷祭では例年、多くのお寺様をお招きし、

檀信徒の皆様と福壽稲荷を始めとする、各御縁のある御神仏への

一年間の感謝の御経をお上げした後、

1階の大広間にて懇親会を開いております。

 

今年も例年にない方々にお参り頂き、

本堂は溢れんばかりの満堂となりました。

 

法要後には住職のお話の中で、

妙信寺に生まれた我々は何故、

宗門では否定されている修行を必要とするのか。

といったお話をされました。

 

福壽1 福壽2 福壽4

 

今年も法要後の懇親会は大変盛り上がりました。

普段一緒にお酒を飲めない方達とお酒を交えて話をできるのは

とても有難い機会です。

福壽

 

 

今年来てくださった方達がまた来年度も元気にお参りできますように。

参られた方達が笑顔で帰路についたとき、

それは神仏への一番の御供養に繋がるのではないでしょうか。

 

 

合掌 善隆 記

 

 

 

 

 

 
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