妙信寺ブログ

8月1日焙烙灸祈願会

8月1日(水)午後1時より妙信寺恒例の焙烙灸祈願会を厳修いたしました。読経前、住職より土用の丑につき、分かり易く紙に書いて説明されました。

祈願法要の後、焙烙灸を行いました。焙烙灸祈祷は「ほうろく」と言う素焼きのお皿を頭に乗せて、その上に「もぐさ」をのせて火をつけ、もぐさが燃え尽きるまで住職がお経をお唱えしながら御祈祷をするというものです。皆様もぐさの煙が充満する中、熱さに耐えながら御祈祷を受けておられました。異常なほどに暑い今年の夏ですが、焙烙灸によってきっと夏バテにも耐えられると存じます。

焙烙灸祈祷の後、昨年に引き続き、港南区で鍼灸院を開業している辻内敦先生より、身体のツボ等に関する説明をしていただきました。またご希望者に対して施術治療をしていただきました。大変有難うございました。

写真は土用の丑の説明をされる住職、ツボの説明をされる辻内先生、御祈祷を受けながら焙烙灸を受けられる檀信徒の皆様。 皆様お疲れ様でした。合掌 善徹

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7月22日 盂蘭盆法要

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去る7月22日 盂蘭盆法要を修行しました。

この日は東京のお上人方を3人お招きし御出仕頂きました。

 

夏のこの「お盆」という習慣は、

先祖をお盆の苦しみから救うために始まったものです。

 

「お盆」という言葉は略語で、正式には盂蘭盆といいます。

更に盂蘭盆の元はインド語でウラーバーナー(逆さ吊りの苦しみ)といいます。

 

元々、お釈迦さまの弟子の僧侶(目連尊者)が母親を亡くした説話からなります。

目連尊者の母親が地獄界(正式には餓鬼会)に堕ちてしまい、

その地獄界の苦しみを例えた語がウラーバーナー(盂蘭盆=逆さ吊りの苦しみ)であります。

その母親をウラーバーナ―(盂蘭盆=逆さ吊りの苦しみ)から救出しようと、

一年の真ん中に当たる夏の時期に沢山の僧侶を招き供養法要をしました。

この説話から「お盆」の習慣が始まりました。

故に「盂蘭盆法要」というのです。

 

 

 

お盆というと世間一般的には、連休のイメージですが、

実は昔を辿ると先祖様を逆さ吊りの苦しみから救ったことから始まっているのです。

なのでこの意味合いを元に現代では、

先祖様がウラーバーナー(盂蘭盆=逆さ吊りの苦しみ)に遭わない様に、

どうか天国に居られます様に。という供養でもあるのです。

 

お盆の時期にはBBQや海プール花火大会、、、

TVをつけても楽しい行事が満載で私も羨ましく思います。

ですが、この連休の元の意味を考えて頂き、

自身の先祖様と心から向き合う時間にも当てて頂きたいと思うのです。

 

 

法要当日は猛暑の最中ということもあり、

普段は効く冷房も全く効かずお参り頂いた方々には

暑い思いをさせてしまい、ご迷惑をおかけしてしまいました。

申し訳ありませんでしたm(__)m

 

しかし、有難い事にこれも沢山の方々にお参り頂いた故の篤さです。

私ども寺族はこの篤さを嬉しく有り難く感じられます。

 

来年のお盆法要には更なる篤さの中お参りできますよう精進して参ります。

 

合掌 善隆 記

 

 

 

 

 

 
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7月1日 月例 祈祷会

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去る7月1日、祈祷会を修行しました。

 

毎月1日は妙信寺の御祈祷日ですが、

この日は日曜日ということもあり、

沢山の檀信徒の方にお参り頂きました。

 

法要前には、「諦める」という言葉を用いてお話をさせて頂きました。

「諦める」という言葉は実は仏教用語であり、

語源はサンスクリット語(インド語)で

SATYA(サトヤ)といい、

「つまびらかにみる、聞く」、「明らかにする」といった意味があります。

ところが、昨今では「諦める」という言葉は、

願い事を志半ばで断念する、という様な意味で使われております。

英語でいうなら「give up」でしょうか。

 

どういった経緯でマイナスな意味に変換されてしまったのかは不確かですが

本来の意味を考えれば正反対な意味合いになってしまいます。

 

諦める=明らかに極める

と表せばわかり易いでしょうか。

本来の意味をどうかご理解頂ければ幸いです。

合掌 善隆 記

 

 
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