妙信寺ブログ

5月3日 福寿稲荷大善神祭

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5月3日 福寿稲荷大善神祭を厳修しました。

 

妙信寺の守護神である

福壽稲荷様に感謝をお伝えする法要です。

 

福寿稲荷とは妙信寺開基 日浄上人が感得された神様です。

日浄上人が亡くなったのは平成10年なので、私(副住職)が小学1,2年生の頃でした。

いまとなっては日浄上人を知る人も僅かとなってしまいましたが、

上記写真の様に沢山の方にお参り頂きました。

日浄上人の形は無くしても想いは着実に継承されております。

想いの継承こそが先祖供養だと思い私も曾祖母(日浄上人)の僅かな記憶を辿りながら感謝のお経をあげさせて頂きました。

 

法要後には出仕頂いている各上人よりご挨拶を頂き、

最後には本年96才になる大住職より一言頂戴し法要を締めくくりました。

 

「最近はマスクマスクの時代になってしまいました。私も外出は出来なくなったものの、なにかあったらと常にポケットの奥にマスクは常備してあります。しかしながら、いざ来客があった際にマスクをつけようとした所、マスクが懐奥に入りすぎてつけられなかったと。皆さん、大事な物は奥にしまいすぎたらいけませんよ、一緒にお題目を唱えましょう。」

 

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最近では孫である私の事も認識できない日もあるくらいに老いてしまいましたがまだまだ元気でした。

 

5年前私が遠寿院荒行堂で修行中、三行の上人がよく

「我々は法華経を読んで、御遺文を読んで、新たな御遺文を残すんだ」と言われていました。

 

また新たに私の御遺文ノートに一文追加された福寿稲荷大善神祭でした。

 

合掌

 
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4月17日 供養会

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4月17日 月例供養会を厳修致しました。

法要前には春彼岸のお参り中に檀徒さんに質問をされた

法要の終いに拝読する「四弘誓願」について

ご説明をさせて頂きました。

 

・衆生無辺誓願度

衆生(人々)を度する(救済)することを誓う

人に優しく

 

・煩悩無衆誓願断

煩悩(欲望)を断ずることを誓う

自分に厳しく

 

・法門無尽誓願知

釈尊の説かれた教えを学ぶことを誓う

日々学ぶことを怠らず

 

・仏道無上誓願成

仏道修行を成し得ることを誓う

御修行に励みましょう

 

仏さまが説かれた4つの誓いを共に学びました。

 

法要後には住職より紫衣着用の許可が本山より頂けたことを報告し

僧侶として頂く衣の色がこれで最後の色になったことで

袈裟の重みについて開基上人の偉大さと、

その上人を外護された信徒の有難さを振り返り

この袈裟に相当できるような僧を目指し精進したいとの抱負を述べ

法要を締めくくった。

 

合掌 記 善隆

 
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4月1日祈願会法要

令和4年4月1日(金)午後1時より祈願会法要(月守授与)を厳修いたしました。朝方から冷たい雨が降り心配しましたが、それも法要が始まる頃には、風は強く、寒いものの、雨模様の空もすっかり上がりました。本日は花御堂の中にお釈迦様の御像をお祀りし、甘茶をかけてご生誕をお祝いする降誕会も同時に行われました。

読経に入る前に日蓮大聖人の御遺文を拝読させていただきました。当山でもこれから積極的に活動を展開する予定であります、グリーフ(大切な人やものを失った時に生まれてくる、その人なりの自然な反応・感情・プロセスのこと)の観点から、大聖人の御遺文を拝読させていただきました。深い悲しみ、悲嘆、苦悩、さみしさを抱える人たちが、その「悲しみ、苦しみ」から、次に生きるための小さな第一歩になっていただきたいと願っております。

本日はご祈願会です。方便品、自我偈、神力偈、咒陀羅、お題目、此要と進み、ご祈祷会では住職、副住職の木剣によるご祈祷がありました。まだコロナ禍でもあり、撰経を檀信徒の皆様に直接当てることは出来ませんでしたが、熱のこもったご祈祷をいただきました。

終わりに住職よりトイレの神様(烏枢沙摩明王)についての説明および5月の福壽稲荷大善神法要は一座で行う旨の案内があり本日の法要は終了いたしました。 合掌    善徹記

「千日尼御前御返事」

ちりし花もまたさきぬ。をちし果もまたなりぬ。春の風もかわらず、秋のけしきもこぞのごとし。いかにこの一時のみかわりゆきて、もとのごとくなかるらむ。月入りてまたいでぬ。雲はきへてまた来る。この人出でてかへらぬ事こそ天もうらめしく、地もなげかしく候へとこそをぼすらめ。等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経

「現代語訳」

去年散った桜が今年も咲きました。去年落ちた果実が今年も生りました。春風は去年と変わらずやさしく吹き、秋の景色も去年と同じように心にしみます。自然はそのように巡りくるとうのに、どうして阿仏坊殿の生命だけが消え去っていって、もとに戻ることがないのでしょうか。月は入ってもまた出ますし、雲は行ってもまたきます。それなのに人は死んだらもう帰ってこないということこそ、天も恨めしく、地も歎かわしいことです。

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