私に薬王寺の住職の話があったのは平成6年12月でした。

翌年6月には入山式を行い、住職ではなかったものの横浜のお寺と兼務であったため、月に1週間から10日の法務生活でした。

その生活のなかで、言葉ではうまく言えませんが、普通のお寺にある空気とはまったく違う“気”が流れていたように思えることと、家族一同が霊現象のような不可思議な体験を感じ、どのように供養し解決してゆくのか不安な気持ちからのスタートであったことも事実でした。

このような時に、ある人のご縁で平成7年の11月、千葉県中山にある遠寿院大荒行堂の門を叩きました。この遠寿院入行のご縁が、人と人の縁を結び、現在横浜の妙信寺・薬王寺を務める私にとって、大きな宝になっています。

事実無縁塔の箇所で詳しく述べてあります幡連社幢誉量阿映現隆肇大和尚という方のお墓が発見されたのが、平成7年の12月のことで、これより薬王寺の現象が動き始めたのです。

以前より薬王寺に出入りする霊的能力をもつ何人かの尼上人が、「このお寺には大変な力を持つ僧がいる」という指摘をされていました。 また、この墓石が発見されても、「清見寺誌」の本が平成8年4月に開創400年を迎えて発刊されなければ、隆肇大和尚のことや薬王寺周辺日向見地区の無縁塔などの歴史はわかりませんでした。

▲修復前の山門の様子

元来、薬王寺の地所は、昭和11年頃関征三郎氏より開基山岡上人がご縁をいただいたもので、さらに昭和40年には第四世池田尼上人が、関備氏のご協力を得て、薬王寺の宿坊として法華宗の家紋「鶴」を使い「鶴の坊」をスタートさせました。これは数年で鶴屋旅館として独立しましたが、池田尼上人遷化後はお寺と鶴屋旅館さんとの間に距離がある時代が続きました。

▲修復後の山門の様子

平成8年に現鶴屋旅館社長・関良則氏が就任され、お寺との距離も元来の関係に戻る一方、地道な経営手腕により新たに「美月庵・山王院」を建立し、群馬県山間にあった湯治旅館「鶴屋」は日本を代表する温泉宿「鶴屋」として、奇跡的な発展を成し遂げました。 関氏には現在薬王寺の総代を務めていただき、平成10年には山門・階段の修復事業も完成し、現在では本堂修興の案を計画中です。


現在の薬王寺は法華宗ですが、それまでのお寺の歴史には、どのような人たちが存在し、どのような形で法華宗に改宗したのか、謎の中の謎でした。開基山岡上人は偶然にも横浜・妙信寺開基中道日浄尼上人の日蓮宗時代の師匠であり、遠寿院荒行堂を三回成満されています。第二世大句上人の歴史が不明でありましたが、平成15年日蓮宗から遠寿院荒行堂が単独開堂になった時、遠寿院より一冊の小論集が発行され、その中に大句上人の記述を発見しました。

▲昭和22年度加行者入行・成満対照表
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それは「昭和22年に起きた荒行堂をめぐる諸問題」の記述の一部の昭和22年度加行者入行・成満対照表の中に「第再行拾六番 四万温泉日向見 大句義史」という名前が記載されていたのです(表@)。これを頼りに、日蓮宗名簿を探したところ石川県本住寺の住職をしていることがわかりました。

早速連絡をとりましたが、平成13年12月13日にご遷化されていました。その折り奥様より電話でお話しをお聞きしたところ、大句上人のご信徒の一人に第三世宮村尼上人がおられたそうで、当時はあくまで大句上人を支える信徒の一人であったそうです。大句上人が事情で日向薬王寺より石川県の本住寺に入寺しなければならないことを知った宮村尼上人は、薬王殿が無住職になってしまうならば、自分が尼になりこの寺を護ると決意され、当時の宮村家の菩提寺にあたる法華宗浅草・長国寺井桁日雄上人を師匠として出家・得度されました。そして日向見温泉に訪れる湯治客の参詣者を中心に布教活動を行われましたが、尼上人が主として東京に居住する関係から昭和36年同じ温泉場で布教されることを念願され、神奈川県湯河原町に妙国寺を建立され布教に励むことになりました。 この事情をうけ当時法華宗東京教区の宗務所長をされていた井桁日雄上人より、同じ法華宗本能寺松井猊下に話がわたり、この事情を了承した池田尼上人が赴任しました。今日、この事情が紐解かれる上においても、現長国寺住職井桁凰雄上人はじめそこからご縁につながった各上人の法力がなくては、現在の薬王寺の謎を解くことは出来なかったでしょう。

▲遠寿院大荒行堂 昭和22年度加行者

また現在、長国寺に寄住している田中智祥上人は日蓮宗の僧侶ですが、さきの遠寿院発行の荒行小論集加行者対照表には、再行拾六番大句義史・弐拾番田中智岳とあり(表A)、田中上人の祖父と大句上人が遠寿院で同じ時期に修行をし、歴史的問題に立ち会っていることを知ると、法華経の結ぶご縁の重大さをひしひしと感じます。

 

以上のように、私が現在横浜妙信寺・薬王寺を務めさせていただく上においても、薬王寺というお寺から出発した摩訶不思議なご縁。僧侶でありながら霊の力・仏の力・法華経の霊と人を結ぶ力を、現象として感じることが出来た喜びを肌で知り、それが現在の私の布教における信心の根本になっています。